2025/11/05
2024年7月から2025年8月まで、デンマークの Copenhagen Business School(CBS)に客員研究員として滞在しました。所属先の Department of Business Humanities and Law には、経営史と経営学を架橋する研究者が集う Centre for Business History があります。今回の滞在は、以前から共同研究を続けてきた同センターのディレクター、Andrew Popp教授とのプロジェクトを発展させ、理論的に深化させることを目的としていました。
私自身の研究のモチベーションの一つは、日本企業の創造性と不安定性の根底にあるものを、特に西洋との関係から、歴史的かつ理論的に解明することにあります。Andrewとのプロジェクトでは、20世紀後半から21世紀にかけて進展したグローバリゼーションのなかで、企業がいかに「自社らしさ」を構築してきたのか、とりわけ異国の歴史や文化をどのように取り込み、再構成してきたのかを探求しています。この時期のグローバリゼーションは、単なる情報やモノの流れにとどまらず、私たちの「アイデンティティ」そのものを流動化させました。そうした文脈において、組織アイデンティティは「私たちは誰なのか」を問う重要な枠組みとなっています。私たちは日本企業の歴史的事例を通じて、この問いに取り組んでいます。
Andrewもまた、経営学・組織論に歴史的感覚を取り入れることに強い関心を持ち、日本人である私とともに探求の旅に出ることに同意してくれました。まだ旅の途上ではありますが、これまでの議論と協働を通じて、私たちは互いを深く理解し合える信頼できる友人関係を築くことができたと感じています。
刺激的な研究環境
CBSには研究者にとって刺激的な環境がありました。まず、対話の文化が圧倒的に活発です。教授も大学院生も積極的にランチを共にし、論文のアクセプトや出版報告だけでなく、リジェクトの経験や発表での失敗談まで共有します。年2回の「ライティング・リトリート」では郊外の研修施設に泊まり込み、研究の現状を率直に話し合い、残りの時間を執筆に充てます。私も一度参加しましたが、そこには「互いの研究をより良くする」「書いて出版する」を最優先とする価値観が息づいていました。
次に、研究者も生活者であるという前提が自然に共有されています。職場で生活の話題を避けがちな日本とは異なり、CBSでは家族や日常生活も研究者同士の重要な対話の一部です(もちろんプライバシーは尊重され、内容には適切なラインが存在します)。多くの行事で家族の参加が歓迎され、私自身もAndrewをはじめ同僚たちと、仕事を離れた時間を共に過ごすことで、深い信頼関係を築くことができました。
さらに、包摂の文化が制度として根付いています。職位や経験を問わずイベントは開かれ、客員研究員にも多くの機会が提供されます。センターの将来を話し合う会議に、教授だけでなくポスドクやゲストの私まで招かれた経験は忘れられません。
学術拠点としての難しさ、そして矜持
もちろんCBSにも課題はあり、全面的に肯定するのは慎重さを欠く評価でしょう。財政的な厳しさが増していることは、滞在中にも頻繁に耳にしました。また、イギリスやアメリカほど極端ではないものの、研究内容よりも「トップジャーナル掲載」自体が目的化しつつあるという懸念も聞かれました。こうした点は、日本の大学や研究機関にも共通する課題だと感じます。しかし、後者の問題については、それを「自明の前提(taken for granted)」として受け流すことなく、あきらめずに議論を続けようとする姿勢が複数の研究者に見られたことも印象的でした。
さらに、「包摂が制度化されている」とはいえ、インフォーマルな輪に入りづらい場面は、もちろんありました。それでも、CBSの同僚たちは、日本に比べれば格段に「外部者」に対して開かれていたと感じます。日本では、外国人研究者、特にいずれ帰国することが分かっているゲストと積極的に関係を築くことは、あまり一般的ではないと思います。それに対してCBSでは、すれ違う同僚のほぼ全員が毎日笑顔で挨拶をしてくれましたし、雑談のために研究室に立ち寄ってくれる人も多くいました(私と話しても、彼らにとって直接的な利得があるわけではありません)。そして、共同研究者のAndrewや、滞在中に新たに共同研究を始めたポスドクのAdam Frostは、驚くほど親切で協力的でした。
現在、世界の多くの国で社会が内向きになる傾向が見られます。しかし少なくとも学術の場においては、開かれた環境こそが創造性を生み出す土壌であることを、CBSで強く実感しました。そこには「良い研究をし、それを出版して社会に示す」ために、「心理的安全性と包摂性を大切にする」という矜持が息づいています。
日本発の研究を世界へ発信
この滞在を通じて、理論的にも、歴史的にも、地理的にも、そして研究コミュニティの側面からも、「自分が何者で、どこに立っているのか」を、以前より明確に理解することができるようになりました。今後はこの経験と国際的ネットワークを活かし、日本発の研究を世界へ発信していきたいと考えています。
この在外研究に際しては、JSPS科研費(国際共同研究加速23KK0229)、野村財団社会科学研究助成、一橋大学如水会よりご支援を賜りました。ここに記して、心より感謝申し上げます。