2025/06/30
高校までとは違う、数学の面白さ
私は中央大学商学部金融学科から一橋大学の大学院へ進学しました。学部の1、2年次はまだ専攻の学科は決まっておらず、経営学や金融、会計、マーケティングなどを学んでいく中で一番興味が湧いたのが金融でしたね。私は数学が好きでしたから、金融系だと数理ファイナンスなど、理論的に定式化できるものが多いため、数学との親和性が高い金融分野に興味を持ったのです。大学での数学は高校までの数学と全然違って奥が深かった。これは大学院に行けばもっと知識を深めることができるだろうと知的好奇心をそそられたのです。それで学部3年で早期卒業制度を利用して、一橋大学大学院へ進みました。修士課程では小林健太先生(経営管理研究科教授)のもとで研究を続け、今は博士後期課程で数理ファイナンスや数値解析系などを主に研究しています。
金融工学の世界では、さまざまな金融派生商品の価格を確率微分方程式によって表現することができる「ブラック・ショールズ・モデル」というものが用いられています。このような研究分野があるということを学部生の頃に知り、これはなかなか興味深いぞと思ったんですね。このような金融市場を対象とした研究の基礎付けなるものとして、修士課程では金融のトイモデルを数学的に考察するという内容で修士論文を書きました。そののち、博士後期課程の研究ではデリバティブに思いっきり踏み込んだ形で研究をしています。デリバティブは、株式や為替、債券などの原資産の価格によりその価値が決定されるものであり、将来のある時点(権利行使日)において事前に決められた価格(権利行使価格)で商品の売買をする権利のことを指します。デリバティブには多くの種類がありますが、我々が研究の対象としているのはオプションと呼ばれるものです。オプションには大きく分けて2つの種類があって、満期日のみに行使できるヨーロピアン・オプションと、満期日までにいつでも権利行使できるアメリカン・オプションがあります。これらの中でも、"アメリカン・プット・オプション"※1、つまりいつでも原資産を権利行使価格で売ることができる権利の売買については、価格評価が非常に難しく、広く興味深い研究の対象と見なされています。アメリカン・プット・オプションは原資産価格の挙動によっては、満期以前に権利行使した方が有利になることがあり、権利行使すべきかの境界としてある境界値関数が存在します。これを最適権利行使境界と言いますが、解析的には解を得ることができないため、その解を得るためにはコンピューターを用いた数値計算を重ねることになります。ですが、既存研究ではその精度があまりよくないというのが現状です。その精度向上のためにはどういう方法が使えるかという問題に対して、我々は"変数変換型数値計算法"※2と言われる分野のDE公式※3とかsinc関数展開※4などを使いながら、高精度に最適権利行使境界を求める数値計算スキームを構築したというのが博士後期課程の研究です。
研究と農業の二刀流に挑戦
私は現在の研究には社会的意義があると思って取り組んでいますが、日本の農業についても以前から関心がありました。私は幼いころから祖父の家で家庭菜園を手伝ったりして土いじりが好きでしたし、学部生のころには、週末に4時間半をかけて山梨へ通い、大豆を育てる農業ワークショップにも参加していました。単に作物を育てるのが好きということもありましたが、もう一つの関心は日本の食の問題が今後どうなっていくのかということでした。農業従事者の高齢化による担い手不足の問題だけではなく、農業に対する社会的イメージ問題や生産から流通、販売に至るまでの農業経営が上手くできていないことにより、皆が第3次産業ばかりに目を向けてしまうという問題もあります。ですが、経済の根幹を考えたときに"食"というものがなければ我々は生きていけない訳です。食がなければ加工品を作ることもできないし、流通や卸売、小売などの第3次産業も生まれようがない。そこでまずは自分自身が農業の世界を知ってみるしかないだろうと思ったんです。将来的には研究により得られた知見を生かして農業経営のマネジメントやコンサルタントも考えていますが、やはり自分自身でやったことがないままでは、見当違いのアドバイスをしがちです。
農業でつながる地域のコミュニティ
現在は長野県の立科町というところで、無農薬の無肥料栽培でお米と一般的な野菜30種類くらいを育てています。長野で農業を始めて2年目くらいのときに、大学院生が立科町で野菜を育てているということで新聞の記事に取り上げられました。それをきっかけに地元の農家や流通業者の方々が連絡をくれたり、佐久地域の方々とのつながりもできてきました。佐久地域で講演をする機会もありまして、それでできたご縁で屋久島へも視察に行ってきたところです。屋久島は世界自然遺産にも登録されて、観光で盛り上がっていて何も問題がないように見えますよね。特産のタンカンとポンカンの栽培や亜熱帯性の果物の栽培も盛んですが、実際は担い手不足や人口減少も進み、農業の耕作放棄地問題や産業の課題が目の前に迫っています。屋久島の方々との交流の中では、地域に根ざした形での産業創出を軸に、農業と地元の産業を絡めた地域や観光振興について話をさせていただく機会がありました。
私の研究は数理解析ですが、一つの分野だけに特化してしまうと他のことが見えなくなってしまいます。理論的に詰めていく数理ファイナンスに関する研究と、農業の経験と日本の農業の問題が自分の中ではすべて有機的につながっているのです。社会が抱えている問題を知らずに研究を進めても意味がないですよね。研究で培った知識と、社会で必要とされる能力を掛け合わせていくことが大切だと思っています。
※1 満期日までにいつでも権利行使することのできるオプション。オプションの権利の種類(買う権利なのか売る権利なのか)によって、アメリカン・コール・オプションやアメリカン・プット・オプションなどと呼ばれる。
※2 数値計算法のひとつで、適当な変数変換を用いて数値計算を高精度化する計算方法
※3 変数変換によって被積分関数を性質のよい関数に変換し積分する方法
※4 sinc関数(正弦関数をその変数で割って得られる初等関数)により任意の関数を高精度に近似する手法