2025/08/27
私は幸運なことに、正規採用の教員として大学で働いています。これは国際的に見ても恵まれている環境です。海外においては、特に若手の研究者は定期的に業績をどんどん出していかないと、職業を維持できないんですね。そういった意味で安定した環境にいますので、少しスパンの長い研究もできるのではないかと考えています。これまでは博士論文などのように3年以内で書き上げられるテーマで研究していましたが、今後は10年ぐらいかかってもいいような研究もできたら良いなと考えています。もちろん、2、3年でやれる研究にも取り組みつつ、10年スパンくらいの研究を手元に一つ作るというのが目標です。本来はそれができてようやく博士号を取得というのが、昔の博士号であったと思います。つまり課程博士ではなく、論文博士という人たちですね。大学院の博士課程を修了して教員になってからも研究を続けていって、論文を書いて、本を出して、やっと博士号が認められるという流れです。我々の世代(今の3、40代くらいの人)では、5年間大学院に行ってそのまま課程博士を取得し、教員としてスタートしています。ですので、そこから長期スパンの骨太な研究をやっていかなければならないと考えています。
今、長期スパンの研究の片鱗も少し見えてきた感じがしています。それは、「世の中にたくさんある、合理的じゃなさそうに見えるもの」についての関心です。「合理的じゃなさそうに見えるもの」って、なぜ合理的じゃないように見えるかと言うと、「広い視点で見ると合理的なのに、局所的には非合理に見える」ということがあるからです。例えば、若い人が会社の飲み会に行きたがらないという話をよく聞きます。参加しても給料が増えるわけでもないから合理的ではないらしいです。でももう少し年齢が上の世代の価値観で違った視点で見てみると、職場の人間関係維持のコストと考えると一定程度合理的ではないか、と思えるわけです。
このような非合理的なものに見えるものの要因として、「経済合理性」、「心理的なバイアス」、「社会の発展の中で残った非合理性」などが説明できます。私は博士論文や今まで書き上げた論文では、「経済合理性」の部分を扱ってきました。"一見不合理なんだけど、少しスコープを広げると合理的"と説明できる範囲のものだけを研究してきました。今後10年ぐらいかけて研究範囲をもっと広げていけたらいいなと思っています。
我々の社会科学の研究は頑張って研究して結果を出しても、それを社会は必要としていないよね、となると終わってしまうので、そこが社会科学の研究の難しいところです。ですが、逆にいうと、そこが研究者の腕の見せ所で、その点については院生時代に中野先生のご指導でとても鍛えられたと思っています。先日、お話した時に院生の間はしっかりプロデュースをしてきたから、就職したら、あとはここから自分の責任と努力で頑張ってくださいと言われました。今は、一人前の教員、独立した研究者として認めていただいたのかなと思っています。
私が研究者への道へ進もうと進路を決めたのは、学部3年生ぐらいの頃だったかと思います。当時は就活もしていましたが、会社の話を聞きに行くというのではなくて、いろいろな職業の人に自分の価値観を話して、あなたの職業に僕の価値観は向いていると思いますか?と聞いていたんです。しかし、どの職業もなんだかしっくりこなかったんですよね。それで自分は何にも向いていないんだなと思っていたのですが、ゼミの集まりで先生と話している時に、君は研究者が向いていると言われて「ああ、そうか!ここだったか!」という感じで着陸しました。学部入学後くらいから薄っすらと研究者も面白そうだなとは思っていたんですよね。ただ自分に資質があるかどうか分からないところで、もし先生から勧められたら研究者の道へ進もうと思っていたので、そう言ってくださるならと決断しました。学生の皆さんに言えるのは、一橋大学の研究の環境はとても恵まれています。ですので、学生の皆さんにはこれらを存分に活用して、自分の道を進んでいってほしいなと思います。