無駄な知識ではなく、"人生を豊かにしてくれる知識"/博士後期課程1年 宮澤優輝さん②

2025/11/04

研究はモチベーションに頼らない

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研究はもちろん楽しい時期もありますけれど、一時的なモチベーションに頼りすぎないよう、できるだけ淡々とやる方法を確立しようと腐心しています。たぶん自分の場合はモチベーションのみに頼ると、やらない時期が一年の半分くらいあるかも知れません笑。ですので、十分に実現はできていませんが、基本的には淡々とマイペースでやることを目指しています。今は修士論文研究テーマの延長と博士課程の研究の論文を並行してやっています。博士後期課程はできれば3年で修了したいと考えていて、論文の締め切りを3年後と決めて、それまでに3本の論文を出したいと考えています。論文のアイデアはいろいろあって、今年中に素材だけは揃えて、来年、再来年で投稿作業をして、順風満帆に博士論文を出すことが理想的ではあると思っています。共同研究もいくつかやっていて、最近の共同論文は『一橋ビジネスレビュー2025 AUT.季刊』号に「あいや:茶業界をグローバルな視点で革新する」というタイトルで掲載されました。1888年創業の愛知県西尾市に本社を置く、今や業界トップクラスの抹茶メーカーである株式会社あいやが抹茶市場を如何に変革したかについて書いています。軽部先生にご指導いただきながら、一緒に進めさせていただいた共同研究ですので、とても勉強になりました。実際に研究をやってそこから学ぶというのが早いかもしれないので、共同研究はすごく糧になりますね。

ギタリストを目指していたのも無駄ではなかった?

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現在、メインでやっている自身の研究は、広く言ってしまえば、生成AI、人間を模した3Dモデルとか、デジタル上に移行した現実世界のものについての研究です。特に興味をもっているのは、生産者や消費者の生成AIなどを含むデジタル技術に対する社会的認知であったり、これらの主体が持つ新技術を理解できないという認識、あるいは受け入れられないという人間的感情です。例えば、研究者が生成AIを使って文章を書いたら、「偽物」の文章だと思うかも知れないですし、生成AIが作った楽曲は「偽物」の曲だと言われるかも知れない。これらの認識は高い利便性にもかかわらず存在します。「人間が生み出すものではないから本物じゃない」という認識や「自分の職業を脅かすから受け入れられない」というような感情的なショックなどもあって、新しい技術を受容できないというところがあるのかもしれません。近年、生成AIとか、いろいろなものがデジタル化している中でとても重要なテーマだと考えています。例えば、「人はどういう時にこうした技術を受け入れられるのか」とか、「どういう時に拒絶するのか」といったテーマです。あるいは、受け入れるか拒絶するかの判断の中で、如何に新しい人間の役割や存在意義、新たな人間と技術との対立・共存の形が構築されるかなど、人間と機械・技術の関係性とその進化について研究をしています。

2003年にヤマハ株式会社が、VOCALOIDというリアルな歌声を合成するためのソフトウェアを開発しました。当時の反響として、当然プロの歌手は、人間の声ではない「偽物」であるし、不自然だしありえないよという感じになりました。ですが、現在はものすごい数の楽曲が発表されていて、VOCALOIDを利用した多くのアーティストが広く受け入れられています。このようなデスクトップで作られる音楽は、ギターやバイオリンなどの楽器をはじめ、いろいろなものがデジタル化されてきました。ですが、人間の歌声だけはパソコンでは作れないといわれていました。音楽で人間が担う領域の最後の砦だと思われていたはずの人間の歌声を代替するデジタル技術が、今は広く受け入れられているって不思議だなと思います。人間の感情や人間の役割を踏まえれば到底受け入れられなかったと思われるものが、今は普通に受け入れられています。研究では、「それは何故なんだろう?」「どうしてなのだろう?」というのをいくつかの理論的な視点で、複数の論文を別の分析を使って切り出すという作業をしています。この研究は個人的にはとても面白いです。音楽業界についての研究でもあるので、もしかしたらギタリストを目指していたのも無駄ではなかったのかも知れません。将来は、"日本の面白い事例を見つけて、自分の独自性も活かせる研究をやる"というのを目標にしています。

後輩へのメッセージ

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世の中って「この知識が役立つ、この知識は役立たない」とか、切り分けすることがありますよね。例えば、学部で言えばマーケティングの知識は就職に役立つけれども、でも音楽業界のこんな話は役に立たないとか、そういう選別です。現代社会は情報が氾濫しているのでそういう選別も必要不可欠です。しかし、以前、軽部先生が仰っていて面白いなと思ったのが、「人生には役立つ知識と人生を豊かにする知識の二種類しかない」ということです。大学生になった時に、誰でも就職のこととか考えていて、自分なりに役立つ知識、役立たない知識と分けているんだと思います。実際にその役立たない知識とされている中にはいろいろありますけれど、それらは役立たない知識ではなくて、すべて"人生を豊かにしてくれる知識"だと思えば、意外といろんなところに寄り道ができます。遠回りをしても結果的にその寄り道が、将来的に自分独自の知識体系や立ち位置を決めるようなものになるかもしれません。学部生時代は寄り道できる余裕もあると思うので、ゼミに入ってみたり、音楽をやってみたり、絵を描いてみたり、思う存分寄り道したらいいんじゃないかと思います。僕は学部・修士5年一貫教育制度で一足早く研究者の道に進みましたけど、ギタリストを目指したり、学部3年の時に大学院ゼミに出てみたりとぐるぐると寄り道した結果、この研究者への道にたどり着きました。みなさんも、その時々の最適解を選ぶのではなく、事前にはわからないものの、結果的には独自性に繋がりうる探索的な選択に少しリソースを割いてチャレンジしてみてください。